世界で2人だけ   

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 岩手の叔父さんと2人だけの姉弟 (きょうだい)の私たちは小さい頃よく喧嘩をしました。 
性格が入れ替わった方が良いくらい、姉の私のほうは気が強く男勝り、叔父さんは昔から本当に優しく、両親と一緒に暮らしてくれて、今でもその優しい性格はちっとも変わっておらず、里帰りする度にありがたいと思っているのです。 私が高校を卒業するまで一緒に暮らしたのですが、私が弟をつき飛ばした覚えがあるほど激しい喧嘩もしたのです。
 そんな私たちにおばあちゃんは「アナタたちはこの世でたった2人しかいない姉弟(きょうだい)なのに、仲良くできないの?
きょうだいは助け合って生きていかなくては」と、よく説教されたものでした。
 今にして思えば3人目の妊娠で大病し、二度と子供を生めない悲しさがおばあちゃんには篭っていたように思うのです。
私たちは、そんな姉弟(きょうだい)だったけれども、離れ離れになって暮らしていても、困ったときにはいつも助け合って生きてきたと、この歳なって胸を張って言えるのです。
 
 さて、あなたたち兄妹(きょうだい)もたった2人ですね。
お兄ちゃんはお腹にいた時から元気いっぱいで、よくお腹を蹴っていたし、暴れまわっていたらしく逆子でね、お母ちゃんは大きいお腹で逆子を直す体操をしなくてはならず大変でした。
 予定日の12月13日になっても産まれる気配もなく私は、その日は岩手から出てきたおばあちゃんと「第九の夕べ」を聞きに行きました。おばあちゃんはハラハラしながら、「第九」の夕べを聞いたそうです。
 1週間過ぎても陣痛は起こらず、23日の私の30歳の誕生日までに生みたいといって点滴で陣痛を起こしてもらいましたが、とても難産で首にへその緒が巻きつき吸引分娩となり、布袋さんの様に長い顔で出てきてみんなはびっくりしたそうです。3050グラムでした。
 お乳も良く飲み元気いっぱいでしたが、しばらくして、夜泣きがひどく、夜中にお父ちゃんとよく車に乗せて走り回りました。車に乗せると不思議と良く眠ってくれました。
 10ヶ月でもう悠々と歩いていましたからね。ちょっと大きくなって、蓄膿症のせいで中耳炎に罹ることが多く、お父ちゃんは毎日、保育所から耳鼻科へ、また保育所に行き職場に戻るという昼休みを続けてくれました。
 小さいとき、妹が「変な人がついてくる」と夜帰ってきたら「何ッ!」とバットを持って飛び出して行ったことあったよね。お母ちゃんと2人でテレビの「宇宙戦艦ヤマト」を見てよくハンカチの取り合いをしたよね。回りの面倒を見て優しい性格だと良く言われ自慢の子でした。
 
 妹の貴女は、3月の末が予定日でしたが3月8日、3180グラムでお兄ちゃんより大きく生まれました。
 ところが、お乳を飲んでくれず、体重が増えず、病院で預かるといわれ、私だけ退院し、お乳を搾り毎日病院へ運びました。腸が弱かったのかよく下痢をして、保育所の先生はニラがお腹に良いとよくニラのお粥をしてくれて、そのときからきっとニラが好きになったのだと思います。  私が出張のときには、斉藤のおばちゃんに面倒見てもらい、出張先から電話をすると「オムツ洗いばかりしている」と、こぼされました。保育所では、1日3回昼寝をする子だとびっくりされました。
 中学から高校と吹奏楽部を頑張り続け、高校最後の演奏会のマーチングでの一生懸命の演奏はお父ちゃんもお母ちゃんも胸が一杯でジーンとしました。本当によく頑張りつづけましたねさすが、日本一の吹奏楽部だと思いました。
家中の誕生日や、母の日、父の日は忘れずにプレゼントありがとうね。

 妹の夜勤の時にはお兄ちゃんが必ず送っていくと言うのが、もう何年も続いていますよね
なかなか美しい兄妹(きょうだい)愛だと思っています。

結婚してもずっとそのまま仲良くね。

 いつかあなたたち「世界で2人」にも、おばあちゃんの言葉をそのまま伝えたいと思って来ましたが、2人は充分「優しい」、改めて言うこともないですね        (2004,12)
 
  
  
 

 
 

by taizann | 2005-05-01 15:42 | エッセー

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