トルコ旅行記(ニ)   


トルコの朝焼け
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★成田→イスタンブール→イズミールの巻
台風に振り回された出発であったが、搭乗手続きが済むと、しばらく日本食にはありつけないからと、友人と私は、空港で寿司と海鮮丼を食べ、やっとトルコ行きの十二時間の機内の人となったのであった。トルコ旅行記(ニ)_c0072993_13301939.jpg

トルコ航空には一人日本人のスチュワーデスが乗務していたが、トルコの女性は、目茶鼻が高い、目が大きい、決しておしとやかではないが、よく言えばきびきびとしているし、無理な笑顔もないようだ。
トルコと日本の時差は六時間で、日本時間で夜中になるが、トルコ時間の夜の七時過ぎに到着である。寝ておかないと明日も早いと聞いているが、配られた毛布に、オーデコロンがふってあるらしく鼻について臭くて寝むれないという変なデリケートさが災いした。仕方が無いので、手持ちのガイドブックを開いたり、デジカメの説明書に目をやる。
イスタンブールの空港はデカイ、延々と出国手続きに時間がかかる。バスに乗り込み現地ガイドのアッテラさんの達者な日本語に出会ったらほっとした。
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魅惑のイスタンブールは真っ暗。残念だが、最終日の観光に期待して夕食会場へ。機内で二食も食べたからもういいけど、(でもでも、世界の三大料理だから・・)
(これが有名なシシカバブや!、ダメだ今日はどうも口に合わない、食べすぎ?)

レストランでは別の集団が、肩を組んで大声で歌を歌い、盛り上がっている、やっぱりドイツ人だ。トルコにはヨーロッパからの観光客が多いらしい、中でもドイツ人が一番多いということである。トルコ旅行記(ニ)_c0072993_143568.jpg

ホテルに入り、翌日の説明あり、ツインではないダブルベットにもぐったのは夜中だった。ダブルは嫌なんて言っておれない、明日は五時にモーニングコールだから。
緊張している、モーニングコールより先に目が覚める。九時イスタンブールのアタチュルク空港から国内線で一時間、イズミールのアンネンメンデレス空港へ、イズミールはエーゲ海のトルコ第三の都市であり、紀元前千二百年のトロイの戦争の跡地でもある。五千年前からの港町であり、二世紀頃より国際商業都市として発展したという貫禄のある都市である、地震が多かったせいで、殆どの遺跡は破壊しているらしいが、バスは一路、二日目のハイライトとも言える世界最大級のエフェスの都市遺跡を目指す(古代名エフェソス)。
 
★灼熱のエフェス都市遺跡
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規模や歴史的価値からみても、世界でも群を抜いていると言われているエフェスの都市遺跡は、保存状態もよく充分見ごたえがある。
収容数二万四千人を越える巨大劇場は当時、全市民が参加する会議場だったとも言う、クレテス通り、ここは公衆トイレで有名だ、下水道完備、真ん中に貯水槽があり、その周りを壁に沿って丸い穴が開いている、必ず誰もが座ってみたくなるシロモノである。
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マーブルロード(大理石通り)大理石で舗装されて、アントニウスとクレオパトラのカップルも通ったらしい、
セルシウム図書館へ、世界三大図書館で十二万冊の蔵書を誇っていたという。
ハドリアヌス神殿は、レリーフで飾られたアーチは、パンフレットによく紹介されている。
音楽堂や公衆浴場、紀元前三世紀の建造物の立派な遺跡の数々に度肝を抜かれ、小高い丘を越えた、二度と訪れることは無いだろうからと名残を惜しみ、振り返ると、ハーバーストリートと呼ばれる長さ五百メートル幅十一メートルの港へのアルカヂィウス道路が目に入る。両側に商店が立ち並びアーケード通りの語源となったと言われる大通りに、かつての賑わいが偲ばれた。
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★バムッカレとヒエラポリス世界複合遺産
トルコは、遺跡の数は世界一、世界遺産は三十もある.エフェスからバスで三時間、走る走る、メルセデス・ベンツは快調だ。

見渡す限りのトウモロコシ畑をただひたすら走りバムッカレの村を通り、温泉地に入る、見渡す二百五十キロメートルもの台地に広がる真っ白な石灰棚が段々畑のように広がり不思議な光景である。靴を脱いで温水に足を浸し、古代からのリゾート気分に浸る。この世界遺産も、近年破損が著しく、来年からいろいろと、規制がきつくなるそうである。
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 ネクロポリス(古代墓地跡)、もっとも保存状態が悪い墓地らしく、石で作った墓や棺が大小、身分もさまざまな様相を呈し、散乱しており、夜は不気味そう。ブルブル~。  
ヒエラポリス遺跡は紀元前二世紀、ローマ時代の温泉地として栄えたもので、都市を囲む城壁の内側には、劇場、神殿、市場、住居、浴場などが残っている。現在もドイツ、イタリアのチームによる発掘調査が進行中のようであり、いたる所で、掘り返しの砂ぼこりに、マスク、覆面が必要であり、ガイドさんの説明もそこそこに我々は、バスに引き揚げた。  (カッパドキアへと続く)

by taizann | 2005-09-21 14:46 | 旅行記

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