トルコ旅行記(四)   

★ カッパドキア(続)

カイマルク地下都市・ギョレメ野外博物館
 
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カッパドキアの周辺には、まだまだたくさんの見どころが散在している。
カイマルク地下都市は、ヒッタイト人が作り、そのキリスト教徒がアラブ人の迫害から身を守るため移り住んだといわれているものの一つである。地下百五十メートルの大きな都市は、地下八階まであり、当時は一万五千人ものキリスト教徒が住んでいたという。人一人がやっと通れる、いりくんだ、迷路のような、狭い通路を降りていくと、教会、学校、居間、井戸、台所、墓地などが完備されている。驚いたのは巨大な石で作られた回転扉もあり、緊急時には通りを遮断したらしい。又、亡くなった人の遺体は、地上へ置いて、ハゲタカなどに食わせ、骨になってから、地下に運び共に暮らしていたいう。
その暗い空間には、自らの信仰を守り、信じるキリスト教徒の祈りと暮らしが蘇るのである。 

眺めのよい高台を降りると、ギョレメ野外博物館があり、いろいろな名前の付いた洞窟教会がたくさんある。
その中の一つ、暗闇の教会に入ると、外からは、想像できない内部であり、朱や青が美しいフレスコ画が飾られ、硬い岩盤を掘ったドーム型の天井にはキリストの壁画が残っている。

このコースに、ヒッタイト人の要塞だったウチヒサールという村(写真↓)があり、岩山に無数の穴がある有名な住居跡を訪れたが残念ながら私の記憶には全然残っていない。
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今日の昼食は洞窟レストランである、メニューはジャガイモのオムレツと、ますのグリルである。トルコはますしか獲れないの?(川魚が苦手で!)

トルコ旅行記(四)_c0072993_20303141.jpg その後、二千年前は海の中だったというラクダ岩のあるデヴランの谷へ。 
ホテルの近くのカッパドキア最古のワイナリーへ寄り、ホテルで夕食後、希望者のみ、夜のデヴレントの谷へ。
 今日は疲れたー。一向もそろそろ疲れが見えてきたように思う、二十ニ才の一番若い人が青い顔をしてダウンのようだ。

ひと休みして
★ トルコの代表的なお土産の話
☆ トルコ絨毯の直営店
トルコの絨毯は若い女性が織り込むため、 
縦糸、横糸、結び目に絹糸を使い、キメが細かく高級らしい。それもピンからキリまであり、絨毯に興味がない私には、流暢な日本語をこなす店員さんが一人に一人ついて説明しているが、馬の耳に念仏である。ガイドさんが言ったことは覚えている。世界で一番細かいものは一平方センチを編むのに四年かかっているそうな。

☆ トルコの陶器
アナトリア地方の陶器作りの歴史は紀元前にさかのぼるらしい。トルコで,最も長いアヴァノスの川の赤土を使った投機で有名なガリップさんの工場へ、目の前でろくろを回し実演販売といった店かな。

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☆ ドルコ石の直営店
ここも作って販売しているから安いというがたくさんありすぎて目移りして迷う。あらかじめ、ホテルで相場を頭に入れておいた。私の誕生石を買うため、一番力が入った店である。気球分より予算オーバー、でもゲット。

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☆ 小物類
カッパドキアなど観光地にはいわゆる露天商が軒を連ねている。飾り皿、鍋敷き、衣類、おもちゃ、など等なんでもある。有名なのはナザールボンジュー、といって奇麗なブル―の色の目玉のような形をしたトルコの魔よけである。日本人と見ると「三つ千円」「いらない」というと「四つ千円」無視して去ろうとすると「五つ千円」とバスまでついてくる。ここも商魂たくましい。
中には、女の人には「おばあちゃん、パシュミナいらないか?、本物だよ」だって、
〈こら!、誰がおばあちゃんだよ、、そんな日本語誰に習ったんだー!〉

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 今回のトルコは予定が狂い、グランドグバザールには行けず、心残りではあるが、それでも我々おばちゃんたちは、短い間をぬって買いあさっていた印象だ。




次は、アンカラからイスタンブールへ


(写真提供 丸山 文子氏)
 

 

by taizann | 2005-09-30 21:06 | 旅行記

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