映画「祇園祭」   

 
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 京都伏見から生まれた、作家西口克己が史実に基づき、書き下ろした小説「祇園祭」を映画化(一九六八年作、製作日本映画復興協会監督山内鉄也、脚本鈴木尚之、清水邦夫、企画伊藤大輔)したものである。
物語は、足利将軍の世継ぎ争いから端を発し、京の町は応仁の乱以降、五十年もの間荒廃し続けた。虐げられた農民が一揆を起こすのもそのころであるが、侍階級の力もすでになく、農民、町民、馬借たちも、物事の本質を見抜けず、侍に利用され、弱いもの同士が戦いつづけ無駄な尊い血を流すだけであった。戦いが終わり、侍階級への不信を強めた町民たちは、税金を払わないなど、侍階級へ抵抗を試みるが、もっと、町民の団結力を示す必要があった。その中で、染色職人の新吉(中村錦之助)は、戦乱で三十年ものあいだ途絶えていた町民の祭典「祇園祭」を再興しようと提案し、その実現のために、命をかけて奔走する。この中に川原者で笛の名手であるあやめ(岩下志麻)と、祇園囃子の制作を通して、身分を越えた愛を育んでいく。
c0072993_1155114.gifやがて、祇園祭の準備は着々と進んでいった。一方侍たちはこの祭りを邪魔しようとしている。ついに祭りの日が来た。盛大な山鉾がゆるゆると動き出した時、僧兵や侍が立ちはだかるが、馬借の熊左(三船敏郎)の一隊に退けられる。しかし、ものかげら放たれた矢が、新吉の胸にささる、新吉は胸に矢をつき立てたまま、熊左の手を借り鉾に上がり鉾を進める。侍たちは、あまりの気迫に、手出しができず道が開き、再び鉾は京の町をねり動いていくのである。





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西口克己 没二十年 追悼映画会が、伏見の由緒ある御香宮神社の参集殿で催されたもので、私は久しぶりに心から感動した。それは原作がしっかりしている為であろうということと、往年の俳優がずらりと出演している。今ではこんな豪華キャストの映画は臨めない。中村錦之助、滝花久子、佐藤オリエ、岩下志麻、永井智雄、田中邦衛、志村喬、田村高広、三船敏郎、渥美清、北大路欣也、伊藤雄之助、高倉健、美空ひばり等など。
美空ひばりはこの映画に絶対出演させて欲しいと頼んだそうだ。そのために、「待ってました」「大当たり」「頑張って」という三つのセリフが作られ、最後の山鉾巡行の場面で、群衆の中のひばりが見事に掛け声を発するのである。c0072993_1232215.jpg
 「祇園祭」は八坂神社のお祭りとして立派なお祭りであるが、そもそもは厄病よけの祭りと思っていたが、京の町衆が力を合わせて、時の権力に立ち向かい、見事に復興を果たしたと言う由来と歴史に、素直に納得できるのである。何故なら、私は京都に住み始めたとき、京の町には、このような、権力に屈しない庶民のエネルギーが政治、文化の端々に流れていると感じたのであった。
この映画の実現に至る過程にも、少なからずそのような力が感じられる。当初立命館大学の林屋辰三郎教授等が紙芝居で「祇園祭」を巡回公演していた。このことに興味を持った伊藤監督が、中村錦之助を主演に映画化する企画を東映に持ち込むが、制作費がかさみすぎると言うことで東映は映画化を断念した。そして七年後、プロデューサーの竹中労が府政百年記念事業として京都府に企画を持ち込み、京都府が全面的にバックアップを表明し、日本映画復興協会の名の下、実現に至るのである。(主催、西口克己文学碑を建てる会パンフレットより抜粋)
予算のない映画作りに蜷川京都府が文化事業として関わり、シンボルの鉾を作るために当時の一千万円をかけ、錦之助が金策に駆けずり回り、多くの俳優がボランテアで出演したというこの映画に惜しみない拍手を贈り、もっともっと広く復活上映を望みたいと思った。
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by taizann | 2006-07-25 12:09 | エッセー

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