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雨降りの京都観光   

タクシーの運転手さんお勧めです
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本法寺
雨にぬれると庭石に白く線が浮き出て、まるで水が流れているように見えるのだという。
それで、雨の日の観光客はここに案内すると聞いたのです。

雨が降るのを心待ちにしていました。
久しぶりの雨に小躍りし、デジカメを持って出かけました。

本阿弥光悦が作った”三つ巴の庭”
拝観者は私だけであり、住職が、詳しく説明してくれました。
「親を殺したり、子を殺しは今の世の中、仏教の精神が消えてしまって
いるからです。親子の絆、愛情が薄くなっているのです。
良い母親でいなさいよ」と肩をたたいてくださいました。
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十の庭(つなしの庭)ひとつ、ふたつ、みっつ、と庭石が九つあり、10個目はありません。
それで「つなしの庭」と言うのです。子供の「しつけ」は九つまでにしなさいと言う教えでもある。

ひとつひとつの石にいわれがあるとか・・・十個目の石は心の中にあるのだそうです。





               ↓この庭の右奥の石がどうも水が流れているように見えます。
               運転手さんが言っていたのはこれのようです。
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光悦作の庭が、中庭にもありました。









こちらのお寺は、長谷川等伯作「仏の涅槃図」重要文化財が圧巻でした。
近所には裏千家、表千家の家元があり、京都の風情が残る町並みです。

もう一ヵ所、本法寺から5分くらいのとこにあります。
毎年秋の10月から翌年の4月まで桜が咲き続けているお寺です。

妙蓮寺

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御会式桜

寂しげで、少し小粒ですが、しっかりと咲き誇っていました。








この桜に面白い注意書きが付いていました。(私は拾いませんでしたよ)
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タクシーの運転手さんが教えてくれた二つのお寺は、あまり知られていないようですが
どちらも堂々とした立派なお寺でした。
皆さんも、機会がありましたらこんな京都のお寺も一度どうでしょうか?

(このページの後半についた下線がどうしても取れません。
見苦しいですが無視してください)

by taizann | 2007-02-17 22:22 | 京都案内

二つの「硫黄島」と「ひとたばの手紙から」   

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クリントト・イーストウッド監督の話題の映画二部作を観た。その一部作目「父親たちの星条旗」は、激戦の硫黄島の擂鉢山に、星条旗がひるがえるその瞬間を捉えたこの写真が、米国の戦気昂揚に利用された。三人の兵士の一人、ドクは硫黄島での出来事を死ぬまで語ることがなかった。その息子のジェイムス・ブラッドリーは父の死後、父親を知るために何年もの歳月を費やし、硫黄島の真実にたどり着くのである。その著書「硫黄島の星条旗」(邦題)をもとにした
ノンフィクションである。有名な写真をめぐる無名の兵士の物語である。
星条旗をかかげた六人の兵士の中で生き残った三人の兵士は帰国後、戦費調達全米ツアーにかりだされる。硫黄島での悲惨な体験と、英雄に祭り上げられた兵士の心の断絶が描かれていく。そして語られることのなかった真実と、戦場からの「叫び声」に、三人の兵士の運命は大きく変わっていくのである。
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二部作目は、監督が、相手国の視点で描いたと言う「硫黄島からの手紙」である。
太平洋戦争最大の激戦だったと言われる、硫黄島の戦いに参加した若い一人の兵士・西郷の目を通して、名将・栗林中称率いる日本軍の硫黄島での最後の生き方、死に方を描いているものといえる。
映画は、島に降り立った栗林中尉が「非国民の言動をした」と上官が若い兵士に体罰を加える現場を目にし、戒める場面から始まる。
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米国へ留学経験を持つ栗林は、圧倒的な戦力を誇る米軍に、知略を持って抗戦する戦略に出る。すべてが極限の島に地下壕を堀り、最後の一人になっても戦い抜けと命じ「いさぎよく死ぬこと」の軍人の美学を許さなかった。そのことが、本土への攻撃を遅らせ、家族が一日でも長く生きる道と信じた兵士達は、五日で終わるとされた戦いを三十六日間もの長きに渡り、死闘を繰り広げたのであった。c0072993_20244456.jpgc0072993_20264577.gif










硫黄島は東京より約1200キロ南、東京―グアム島のほぼ中間にある。米軍がサイパン、グアムの基地から本土空襲をする際の長距離爆撃効果を上げるため、中継基地として硫黄島を必要としていた。
この島は戦前から海軍省によって要塞基地に指定され、一般島民の立ち入りは制限されていた。1944年に入り大本営は、マリアナ島の防衛強化とあわせて小笠原諸島の防衛強化を開始、栗林中尉を師団長として着任させた。1944年2月から3月にかけての攻防で日本軍20、129人、米軍28、686人の死者がでた。、米軍の死者が日本軍より上回ったのはこの戦いだけであったと言われている。終戦後アメリカ空軍基地として核兵器保管などに用いられた。1968年小笠原諸島と共に日本に返還されたが、現在海上自衛隊とアメリカ軍の基地があり、島全体が軍事基地になっている。

この二つの映画の余韻が残る数日後、私は俳人宇多喜代子著「ひとたばの手紙から」(戦火を見つめた俳人たち)という一冊の本を知って驚いた。硫黄島で戦死した日本兵の遺品であるひとたばの手紙を、アメリカの一女性から託されたことから始まる、宇多喜代子氏の少女時代の戦争体験を綴ったもので、俳人たちが戦争といかに向き合い、いかに詠んだかを検証した一冊である。
c0072993_20495785.jpgアメリカのシークリフという町に住む元ジャズシンガーのメリーアンさんが、自国の兵士の慰問公演で訪れた硫黄島でこの島の洞窟から、玉砕した日本兵の所持品であった「ひとたばの手紙」を見つけたのであった。屑のようにしか見えないその「ひとたば」が、声を発するのを聞いたそうである。きっと、日本へ届けてくれとメリーアンさんの手を掴んだのかもしれない。その後、この「ひとたば」は50年の間メリーアンさんによって大事に保管されていたが、くしくも、宇多氏がシークリフを旅行した際、彼女に託され、その三年後苦心の末、ようやく遺族のもとに届けられたのである。
私は、この本から、きっとまだ無数に眠っているかもしれない硫黄島の手紙の一部が届けられた偶然に胸を熱くした。

硫黄島はいまなお、地下には無数の不発弾や一万柱を超える日本人兵士の遺骨が残され、回収もされぬまま、島民も帰島できていない状態であると聞いている。
そして、硫黄が噴き出す島には、占領後アメリカ軍が死臭を消すために植えたネムの木が生い茂っているという。

by taizann | 2007-02-05 21:08 | エッセー