やっと、母のことを   

白鳥が舞い戻った日
                                   写真:《母のもとへ》  (転載許可済)
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 母は昨年十月に亡くなりました。八十五歳でした。特にここ二十年余は、到底そんなに長生きできるとは思えないほど、病気がちの一生でした。家族や回りの人間は何度も覚悟をしては、その強い生命力に救われたのでした。生命力が強いだけではなく、病気と正面から向き合い、いつもよくなろうと努力する強い精神力を持っている自慢の母でした。
今回も暑い夏の日、急に弟から「家族を呼ぶように」と言われたとの連絡で、急ぎ帰り、人工呼吸器とたくさんのチューブで維持している姿を見て、「もう、楽にしてやりたい」と何度も思ったほどだったのです。しかし母は奇跡的に蘇り、ようやく東北にも秋が訪れた頃、「来週には退院してもいい」と言われたと弟の携帯電話から、嬉しそうな声を聞いた矢先に、突然脳出血を起こし、長い眠りのまま、二度と意識は戻りませんでした。
私も後悔だけはしないように、精一杯出来ることはしたという自負もあったし、岩手と京都と離れていた為に、親の死に目には会えないかもしれぬと思ってもいたし、何よりも電話の向こうで「私は幸せな人間やねえ」といった最後の言葉に満足して、通夜、葬儀を滞りなく済ませて帰ってきたのでした。やっと、母のことを_c0072993_1481629.jpg
岩手にも初雪の便りを聞いた十一月の末日、母の四十九日の法要のため帰りました。
お寺の庭には雪が残っていたものの、その日は見事なほどの晴天に恵まれ、参列の方々と無事骨納めも済ませたとき、お寺に戻る一行は、「クワッ、クワッ」と聞きなれない鳥の鳴き声に空を仰ぐと、、四羽の白鳥が飛んで行くのを見ました。そして、その中の一羽が戻ってきて私たちの上を何度か舞って、そしてまた飛んで行きました。この感動的な光景は、 後の法事の席でもみんなの話題をさらいました。
 花が好きだった、器用な人だった、面倒見のいい人だった、と母の思い出話は尽きず、
皆は時間が経つのも忘れ、大いに盛り上がり、楽しく賑やかなひと時でした。
弟は、「小さいときから、一度も怒られた記憶がない」と言うのです。そういえば私も心配をかけたが、怒られたことはありません。
優しいと言うべきか、人の心配ばかりして、それが時にはうっとうしくて、よく口喧嘩をしたことなどを思い出していました。
東京から来た叔母は「姉さんは、私の最大の失敗は、娘を遠くに手放したことだと言っていた」と語ったのです。
誰も気にも留めない、何気なく言った一言に、私は胸がつまり料理が喉を通らなくなってしまい、その場を離れ、始めて思い切り泣いてしまいました。
十分親孝行もしたし、それに答えてくれていつも感謝していたからと、悲しみにくれることをしなかった強いはずの私は、今までの自己満足が、一瞬に崩れ去った思いでした。
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やはりあの時、あの一羽だけ私たちの上を舞っていた白鳥は、母ではなかったか。
名残惜しそうに、何か言い残したことがあったのか、もしそうであれば、
もう一度、私の傍に戻ってきて欲しい。

# by taizann | 2008-01-15 14:16 | エッセー