引揚者の思いと共に  旅行記 NO1   

6月のはじめ、友人が中国の大連に行くのに急きょ仲間入りさせてもらった。

考えてみたら主人と別に外国に行くのは全く初めてのことであり、わずか2泊3日の旅と言えども、今まですべてまかせて、体一つでついて行っていたことに、まず気が付き面食らった。
旅行社への手続きから旅行用品のつめこみまでであった。と言うとまるで、私が何も出来ないみたいだがそうではない。自分でしないと気がすまないという主人の性格が、私が手出ししない方が穏便にすむから、そうさせてしまったのである。でもきっちりと大蔵大臣だけは仰せつかっている。

今回のガイドブックも、すぐ見つけてきてくれた。ガイドブックにまず目を通し「アカシアがちょうど咲いている頃みたいや」「日本の東北にあたる緯度だから、過ごしやすい」、「海が近いから魚介類がおいしいよ」「しかし、あまり観るところはないなあ」などと言う。

主人はいつもこうである。まるでツアーコンダクターのようにその土地の地図を頭に入れて行く。だから、主人との旅行はフリーを好むため、私は振り回されペースが乱れ、とことん疲れはててしまうので、常々のんびりと旅行したいと思っていたのであった。

確かにたいした観光地もなさそうであり、目玉はやはり、日本人が戦前たくさん住んでいた、統治していた街ということであろう。それが私の観たい、一番知りたい目的なのである。

今回の5人のなかの3人は引揚者であり、2人は大連から引き揚げたのであり、もう1人はハルピンからだと聞いている。
そんな友人と大連に行けるなんて、エッセーのネタにはうってつけの好機ではないかと
一人心に秘めて友人からの誘いにのったのである。

全員、同じ職場のリタイア組であり、みんな退職以降交流があったわけではないが、関西空港に集合して顔をあわせたら、急に懐かしく嬉しくなってしまった。何かこの旅行が楽しいものになりそうな予感がした。

私以外は看護師さんであり、しかも、ベテラン揃い、外国に行くと、足をくじいたり、お腹を壊したりとトラブルの多い私は大船に乗ったようである。

関空からわずか1時間半の搭乗で、時差も1時間、国内旅行みたいなものである。
アカシアの花はすでに散ってしまい、アカシア祭りも終っていたが、緑豊かで、公園が多く、洋風の建物が立派で、想像以上の大都会であった。

中国の北方の香港と書いてあったが香港のように雑然としていない。宣伝の看板などにも節度があってケバケバしたところがまったくない。人口は500万人を越えているらしいが、広さが東京の面積の5倍もあるから、人口密度は比較にならない。

街はしっとりと落ち着いて、あちらこちらの木陰で老人が将棋をしたり、マージャンをしたりしているのには余裕さえ感じられた。街の中心部は日本人が作ったという建物が並び、1905年から1945年までの40年間統治していた当時の日本の覇権の名残りを堂々と留めている。

「右の奥の古い建物が旧満州鉄道病院です」というガイドさんの説明に「あっ、母が骨折してリヤカーに乗せてこの病院に来た覚えがある」とMさんが一番に反応した。
彼女は7歳のとき大連から引き揚げたのであった。そんな2人は、中山広場(チュウザン)の中央の丸い階段や、「この坂道の奥に神社があったはず」と7歳の記憶が次第に蘇えってきたようであった。

それでも2人は、初日の市内観光におとなしく付き合っていた。高度の下がった飛行機の窓から食い入るように大連の街を見ていた2人である、遠慮しているのか、昔を思い出して懐かしんでいるのか、私のほうが焦る気持ちだ。

早く昔住んでいたところに行きたいだろうに、明日は203高地と旅順に行く予定だ。
「ねえ、2人は何て言う所に住んでいたの?」と私は聞いてみた。
Mさんは「日の出町」に、もう一人のKさんは「松風台」に住んでいたという。
ガイドさんは「夜、家に帰って旧地図で調べてきますね」と知らなさそうで、もう残っていないだろうと言わんばかりの態度である。


大連港に着くと2人は「ここや」「この桟橋は昔のままや」と感慨もひとしおみたいである。
着の身着のまま引き揚げたという、しかも、引き揚げが決まってからも船に乗り込むまで何日も何日も待ったらしく、家族揃って帰るのが必死だったと。一つ間違えれば残留孤児になっていたとも2人は言った。

引き揚げ船は、水の落ちる船底で過ごし、やっとの思いで日本に帰り、佐世保港について、しらみの駆除のためDDTを真っ白に浴びせられ、始めて陸に上がったと話してくれた。
Mさんは、父親に「何故満州に?」と聞いてみたことがあるそうだ。「軍隊に行きたくなかった」と、その一言だけ覚えていると話してくれた。
このMさんのお父さんの話は、多くの日本人が、満州へ渡った思いと違う一面を知り私には驚きであった。

私は引揚者の体験を直接聞いたのは初めてであり、引揚者の苦労話は正直言って今までやはりどことなく人事であった。

夕食までたっぷり時間はあるのだからちょっと、車で日の出町と松風台の近くまで連れてくれればいいのにと思いながらホテルで時間を費やした。
一同は、その夜の中華料理に舌つつみをうち早い眠りに着いた。

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by taizann | 2005-03-16 11:32 | エッセー

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