どこまでも片思い 1   

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        あれは久しぶりに山中さんが京都に出て来た時のこと、もう二十年近くも親友といえる付き合いで、知らん振りしているわけにはいかない、というより私も喋りたいことがたくさんある。
 どこか案内もしなければ、あの海の幸に恵まれた金沢に住んで贅沢三昧の話をよく聞かされた、舌の肥えた人だ、旨いところでの食事の用意も考えておかなくてはと私は急にあわただしくなったのだった。

 全国珠算連盟の大会があるとのことだった。
大会では彼女が低迷を続ける珠算教室のこの一年の取り組みについて成果を発表するらしい。彼女と話しているといつも「相当なやり手だ」と感じることが多い。
 
 泊まるところは西の方の公務員の保養施設となっているホテルを大会の前日分を予約したと聞いて私は驚いた。
そこには30年以上前にグループ交際をしていた時に私が心を寄せていた島ちゃんが副支配人をしていると風の便りに聞いていたからだ。

  何も西のほうに泊まるのにこちらに出て来てもらうこともあるまい、私のほうが西に行けば済むことである。いい所を島ちゃんに頼んでみよう、それに島ちゃんにも会いたいし。
 「島ちゃん、私、旧姓寺田、道子です、覚えてくれているかなあ?私の友人がそちらに一泊するらしいので、夕食に気の効いたいい所をお願いしたいけど、」「おお、懐かしいなあ、元気にしてるか?そんなことお安いことだよ、任してくれ、ちゃんとしておくよ、道ちゃんも来るのか」「もちろん、ざっくばらんな友人だから、島ちゃんも同席してよ」と話はまとまり、万々歳となった。

 その日は副支配人は仕事中だといって食事には付き合えないと伝言があったが、京都らしい上品な懐石料理で私と彼女は大満足であった。
 ちゃんと二次会のカラオケまで用意してくれて彼も、夜中まで一緒に歌い盛り上がってしまった。帰りは南の端の我が家まで送ってくれた。
 私はシンシンと今にも雪でも降り出しそうな、冷え込む夜に、又西の方にある 寮まで帰っていく島ちゃんを帰したくなくて、いつまでも離れたくなくて切ない思いに駆られた。
もちろん、そんなことで情に流される彼ではないことは重々わかっていた。
 
 翌日は案の定、夜半からの雪が降り積もり、あたり一面真っ白で京都には珍しい大雪となっていた。夜遅く山中さんから電話があった。
 「今、金沢に帰ったところです。ありがとう、それにね、あの副支配人には特別お礼を言ってね、後日お礼の手紙も書くけど、雪になると京都ではタクシーが動かないのね、びっくりした、朝、会場に行けなくて困り果ててしまい、副支配人に相談したら私の車を出しましょうと言って会場まで送って下さったのよ、本当にいい人ね、ところで貴女とお二人の関係はどんな関係?かなりと思いましたよ」と。 
 
 長い間私の片思いだったと思うことにしていた人である。十何年ぶりに会ったけどちっとも変わっていない彼が懐かしく、山中さんが「かなり」といった言葉がむしろ嬉しかった。
 結婚前、私は男二人、女二人のグループ交際をしていた。
四人はよく気が合い、いつも何処へ行くにも連れ立って歩いた。何を話しても楽しく、毎日会っては笑ってばかりいた。
 
 そしてその頃私は毛糸の手編みに凝り始め、まず一番に好きな島ちゃんにマフラーをプレゼントした。少し上手になってから、もう一人の男性にあげた。しばらくして島ちゃんじゃないほうから思いを告白された。
 しかし、私ではないもう一人の女性が彼を好いていることがわかり、4人の仲は案の定、しっくり行かなくなり彼女も京都を引き払ってしまったのだった。 
 
 私はずっと前から、「島ちゃんはきっと私を・・・」と思い込んでいたところがあり、本心を聞いてみたくなり二人になったときにそれなりのことを言ったように思う。
 が、ひどくプライドが傷ついたことだけが記憶に残る結果だった思い出の人なのである。
私は副支配人にお礼の電話はしなかった。
 彼にはそんなことは当たり前のことで、その当たり前の“優しさ”に若かった私は参っていたことを思い出したからだ。   2005.1                              

 〔写真提供 阪田 かずを氏「花にi生きる」〕

by taizann | 2005-05-15 09:13 | エッセー

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