もったいない
2006年 05月 01日
今まで仕事を持って働いていた時は、何も感じなかったことだが、退職して気になりだしたことがある。それは「もったいない」と言う感覚だ。毎日が忙しかったのと、お金のこともあまり気にしなくてなんとか済んでいた。それが退職してからは、時間はたっぷりあるが、いささか共稼ぎの財政感覚ではすまなくなった。自分の小遣いも、減る一方で、増えると言うことがなく寂しくなった。そうなると俄然「節約」、「もったいない」という、眠っていた感覚が蘇って来たらしい。
家中のつけっぱなしの電気を消してまわる、洗顔や歯磨きの時の水道は出しっぱなしにしない、何より冷蔵庫で材料を腐らせない、安いお店の広告も見逃さないと退職主婦は毎日頑張っている。
そんな暇人の主婦は、ある日テレビを見ていて「もったいない」という日本の言葉に感動し、「もったいない」を世界に通じる環境標準語にしようと活躍する偉い女性の活動に共鳴したのである。
二00四年に、植林を通じて自然保護、貧しい人々の社会参加、ケニアの民主化に寄与した「グリーンベルト運動」が評価され、ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣のワンガリ・マータイさんである。
マータイさんは、二00五年に京都議定書関連行事のために来日され、そのときにこの言葉を知り、日本人が昔持っていた「もったいない」の考え方こそが、環境問題の3R活動=消費削減(リデュース)、再使用(リユース)、資源再利用(リサイクル)に最もふさわしい精神として感銘したというのである。マータイさんは、世界中でこの「もったいない」をキーワードに「女性達による世界的もったいない」キャンペーンを展開し、資源を効率よく利用しましょうと訴えている。
そのマータイさんが日本人の素晴らしいところとしてあげたことは、和服、水洗トイレ、風呂敷であった。和服、風呂敷はリサイクルの代表として理解できたが、水洗トイレの大、小を区別するレバーは日本人の発想らしい、なるほどそういえば外国ではそのようなレバーはないかもしれない。自動的に水が流れるトイレは、もったいないの代表かもしれないとも思った。
スーパーには大きな袋を持っていけばいい、水は流しぱなしにはしない、包み紙にも閉口することが多い、確かに日本は過剰包装が多すぎる。私には食品と洋服が身にしみた、食べきれないほど作ってみたり、着ていない服や袖を通したこともない服がタンスに眠っている。
また、先日牛乳の最大生産地、北海道で搾られたばかりの牛乳約十トン(一リットルパックで約百万本分)が廃棄処分された。お茶、豆乳、野菜ジュースなどの普及に加え少子化、朝食をとらないライフスタイルも影響して、消費が伸び悩んでの結果らしいが、生産技術が向上しても、過剰生産だからと言って捨ててしまうのはなんとももったいない。酪農家にとっても辛いニュースだった。
世界中には栄養不足の子供や、飢えた人々がたくさんいる、そんな所へ援助して欲しいと願わずにはいられない。
こんな我が家規模の「もったいない」が、環境問題の改善に繋がるとしたら、みんな一人一人が、ちょっと意識するだけで大きな力となり、地球全体の環境問題への意識に変わるのかもしれないと思うと、暇人の発想も、まんざらケチなものではなかったと胸を張ってみたのである。
by taizann | 2006-05-01 14:49 | エッセー