私も聞いておかねば   

(昨年訪れたイスタンブールの夜明け)
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 先日、NHKの教育テレビでETV特集の「祖父の戦場を知る」という番組を観た。
大阪のある出版社が、全国から戦争体験の証言をもとに、毎年夏に「孫たちへの証言」と言う本を出版し続け、今年で十九冊目になる。ここ数年、この証言集の投稿に変化があるという。実際に体験した人の証言が減る一方で、肉親の体験について、孫の世代からの投稿が混ざり始めているというのだ。
番組は、この「孫たちへの証言」への投稿を手がかりに、祖父の戦争体験を知り、その意味を考え、受け継いでいこうとする人々を取材したものであった。
ある青年は、「自分は畳の上では死ねない」と祖父が生前に言い続けていた言葉の意味を知りたいと、直接体験者に会い、中国で南京攻略に協力し、初年兵だった祖父が中国人を銃剣で刺し殺した事実を知っていく。残った祖母からは「優しかった主人は、戦争から帰ったら人が変わっていた」と聞かされる。青年は、「戦争は講和条約で終わることができるが、体験者の傷は癒えない。祖父の苦しみの向こうにあるアジアの人々の苦しみや国家間の傷はずっと引きずって行く」と結んでいた。
また、ある女性は大学の卒論に祖父の体験をテーマに選んだ。祖父が自ら志願し、満州に渡り、B、C級戦犯としてフイリッピンに抑留された体験をテープに録っている。しかし、祖父の志願は当時の農家の次男、三男は生活できない厳しい状況のためで、愛国心だけではない生活設計の手段だったと聞き、ほっとしたと言っていた。「天皇のために戦え、降参しろと、何を好き勝手なことをいっているのかと思っていた人は大勢いたよ」と淡々と語る祖父の言葉に妙に納得してしまった。
最後に語った、八十八歳の老人は「自分はもう死ぬから伝えなければならない。若い人は、中国人が怒るのはおかしい、ただ、戦争で人を殺したくらいにしか思っていない。日本人が中国で、本当にどれほど残虐なことをしたのか、書き続けていく。戦争責任は個人が償う問題ではない、国としてきちんと償うべきだ」と、力強く語ってくれていた。
何気なく観た番組だったが、私は感動した。肉親の体験を次の世代に伝えることのできる最後の世代としてまじめに考え、調べ続け、社会に訴えている若者の存在が嬉しかった。
私も聞いておかねば_c0072993_2012783.jpgそして、私はこの番組を観た翌々日、「蟻の兵隊」(監督 池谷薫)という映画を観にいった。この映画は、第二次大戦終了後も中国に残留し、中国で四年もの歳月を中国共産軍と戦い、長い抑留生活を経て帰国した現在八十歳の、奥村和一氏のドキメンタリーである。
生き残っている数少ない元残留兵は、当時戦犯の軍司令官が責任追及を恐れ、軍閥と密約を交わし、残留を画策したものであると、戦後補償を要求し訴訟を起こしているが、国は「自らの意思で残り勝手に戦争を続けた」とみなし、最高裁でも棄却されている。
「自分たちは、何故残留させられたのか?」真実を明らかにするために中国山西省へ向かう。奥村氏は“初年兵教育”の名の下に、罪のない中国人を刺殺するよう命じられた。
殺人者となった記憶が鮮明によみがえる場面の、奥村氏の苦悩にゆがむ表情がつらい。
現地へ粘り強く赴き、証拠の資料を求め、紛れもないその記録の発見は、今も体内に残る無数の砲弾の破片をかかえながらの、奥村氏の孤軍奮闘に近い闘いであり、怒りと苦しみの執念に他ならない。私も聞いておかねば_c0072993_20134888.jpg
私はこのテレビ番組と映画を通して、自分の“戦争反対”の意思をどう表すべきか、まじめに考えさせられた。八十七歳になる私の父も戦争に行った。しかし今まで、父はその経験を口にすることはなかった。私も余程つらい経験なのだと決め付けて、聞いてもみなかった。まず、今度帰省した時、思い切って聞いておかねばならないと思ったのである


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by taizann | 2006-09-10 20:25 | エッセー

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