あなたは遺言状を書いてありますか?
2006年 12月 04日
ピーポー、ピーポーと突っ走る救急車の中で、「遺言状を書いていない、遺言状を書いていなかった」と思い続けていた。
これは、同年、同月生まれの友人が、無事救急病院から生還して帰ってきてからの後日談なのですが、
「へえー、財産がたくさんあるお宅は、やはり気になるの? 大変ねえ」と言うと「まさか、うちの主人や子供は、私が死んだら何がどこにあって、何をどうすればいいのか、全然知らないから、たちまち困ると思うと、死ねなかった」「主人が慌ててしまい、気が付いたら、左右色の違う靴下を履かせてくれていたの」と笑っていた。
私は、この友人の言葉が、妙にいつも頭から離れないのです。それと言うのも、我が家も決して人事ではない有様で、私も、人にあれこれ言うより、何事も自分でやってしまう性格で、家の者には便利な存在、なくてはならない存在と自負しているほうだから、自分がいなくなった後のことなど、まったく考えたことは、一度もなかったからです。
私の連れあいは、書物もよく読むし、新聞も隅から隅まで読んで、感心するほど良く知っているし何でも良く覚えている。テレビを見ていていても、時事解説が始まり、「わかった、わかった」と思うこともしばしばで、言うなれば、うるさ型です。
しかし、夫婦そろって好きなことをしていて、お互いに干渉しない。特に私の趣味についても《自己満足》と決め付けて興味を示さず、とやかく言わないし、どこに出かけても、気にしないし、制限もしない。一応礼儀として私は、「いついつ、どこそこに行ってくる」と、言っておくが、忘れてしまっていることが多いし、「ああ、そんなこと言ってたなあ」と、こんな具合なのです。
その方が私にとってはありがたいし、むしろ思いやりのひとつなのだと良心的に解釈していたのですが、
実は最近、数人のグループでの旅行中に、友人が旅先の救急病院に入院と言うアクシデントがあったのです。このようなアクシデントは昨年も同じグループの旅行先であり、
なんとも不気味な経験が続いてしまったのです。予期しないことがこうも続くと、私に起こらないとは限らない、たちまち、家中オロオロするに決まっている。身の回りも整理しておかないと、残った者が迷惑するだろう、財産でもめるなどということは、我が家に限ってありえない。第一財産は残るほどないのは私が一番よく知っている。
だけど、貯金通帳、印鑑、カード、生命保険の証書などの類の在り処だけは知らせておかないと、しかしこれも頭に入らないだろうなあ、カードでお金を引き出したこともないお方なのだから。
やっぱり、遺言状というより、遺書にして
わかりやすいところに置いておくべきか、
そうだ、信頼する人に預けるのがいいかもしれない。ついでに、友人への連絡先や、あとの処理事項、葬式も、墓もなしでいいけど、骨は両親のところへ分骨してほしい。いや、私は故郷の山からの散骨を希望しておこう、などとあれこれ、ここまで散々考えたあげく、
「やーめた、バカバカしい」。
今日まで私に、おんぶに抱っこしてきたのだから、思い切り困らせてやろう、死んでからまでありがたがらせることはない、「やっぱり、大事な連れ合いだった」と思い知らしめてやろう。その方が今後の為だから、「棺おけにまで聞いてこないでよ」と、
にわかに邪気が起こり、しらけてしまったのでした。従って遺書は未完成です。
先日友人に「ところで貴女、その後遺言状は書いたの?」と聞くと「命拾いした私は大丈夫だから、主人に書いて置くようにと、うるさく言っているのよ」と笑うのでした。
写真は「阪田かずを写真集」より(阪田さんありがとうございます)
今回はユーモアエッセーに挑戦してみました
by taizann | 2006-12-04 09:39 | エッセー