私のエッセー
2008-05-03T12:42:57+09:00
taizann
エッセーや旅行記、映画評など、気ままなブログです
Excite Blog
本にしました
http://taizann.exblog.jp/8780749/
2008-05-03T12:35:00+09:00
2008-05-03T12:42:57+09:00
2008-05-03T12:31:04+09:00
taizann
挨拶
思い出を3冊にしました
ブログを始めて、3年間100を超える記事を発信し、延べ3万余のコメントをいただきました。私のブロ友と呼べる人は、礼儀正しく、優しく、何よりもいつも私のブログを応援し、支えてくれました。
「コメントを書いていないけど、いつも見ているからね」と言ってくれた人、「最近、ブログを更新していないから心配している」とメールをくれる人、たくさんの人たちに感謝の気持ちをこめて、大切な3年間を本にして私の宝物として残すことにしました。
みなさんに、ありがとう!
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映画「東京タワー」(ボクとオカンと、時々、オトン)
http://taizann.exblog.jp/8169036/
2008-02-06T15:31:00+09:00
2008-02-08T11:00:01+09:00
2008-02-06T15:25:35+09:00
taizann
映画評
私と映画「東京タワー」
私は映画を見る前にあらすじを知ってしまうと、面白くないので殆ど先入観無しで行きます。
ベストセラ小説だと聞いていたし、招待状をいただいたので見に行ってきました。
1960年代、ボク(オダギリジョー)は3歳のときに、遊び人のオトン(小林薫)を捨てオカン(樹木希林)と小倉を離れ筑豊のオカンの実家に帰るところから始まる。
オカンに女手ひとつで育てられ成長していく。
15歳になって大分の美術高校に入り東京の美術大学もかろうじて卒業するが
仕事もせずに、仕送りをしてもらい、借金までしていた。そんな中、オカンが
癌に侵されていることを知る。
そんなダメなボクが平成の東京タワーの下へ、オカンを呼びよせ
最後を看取るまでを描いたものである。
昨年秋に母を亡くした私にとってこの映画は強烈でした。
どこにでもある単純なストーリーですが、明るく強い母と、偉大な母を知るボクを
淡々と温かく描いた名作だと思います。
映画を見ながら私はボクが弟と重なり、泣けてしまいました。
映画のボクとはちょっと違っていても、弟も若いときには
ずいぶん私たち家族を心配させてくれたものでした。
母は息子のことを毎日毎日心配しながら暮らし、
それでも心のどこかで息子を信じていたようにの思うのです。
そんな母を優しく、最後を看取った弟の悲しみが痛いほど伝わって来たのです。
弟は母の生前「どんな体になっても、一日でも長く生きていて欲しい」と言っていました。
この映画で息子と母親の絆の深さを知らされました。
最後にボクが「オカン、ありがとう」と言った時、私はハッとしたのです。
私はこの言葉を母に言ってはいなかった・・と。
オダギリジョー、樹木希林、小林薫、松たか子の俳優陣が良かったです。
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夫の趣味 2
http://taizann.exblog.jp/8084020/
2008-01-26T23:20:00+09:00
2008-01-26T23:26:39+09:00
2008-01-26T23:20:11+09:00
taizann
自慢話
鯛に鯵にヒラマサが・・・どうしたのでしょう?
本当によく釣れてくれました。
特に今回の夫の自慢はこれです。
ヒラマサ(平政)77cmありました
刺身と少々厚めに切って、鍋に、シャブシャブといただきました。
翌日は鯛とヒラマサをにぎり寿司にしたらこれが意外と大好評で、新発見でした。
脂の濃いのが酢で程よく締まるのか、いくらでも食べられる感じになりました。
皆さんもお試しあれ!
左が鯛、右が「ヒラマサ
自慢話(特に夫の)はこの位にしときます。www ]]>
やっと、母のことを
http://taizann.exblog.jp/7992461/
2008-01-15T14:16:00+09:00
2008-04-24T23:04:51+09:00
2008-01-15T14:16:39+09:00
taizann
エッセー
写真:《母のもとへ》 (転載許可済) 母は昨年十月に亡くなりました。八十五歳でした。特にここ二十年余は、到底そんなに長生きできるとは思えないほど、病気がちの一生でした。家族や回りの人間は何度も覚悟をしては、その強い生命力に救われたのでした。生命力が強いだけではなく、病気と正面から向き合い、いつもよくなろうと努力する強い精神力を持っている自慢の母でした。
今回も暑い夏の日、急に弟から「家族を呼ぶように」と言われたとの連絡で、急ぎ帰り、人工呼吸器とたくさんのチューブで維持している姿を見て、「もう、楽にしてやりたい」と何度も思ったほどだったのです。しかし母は奇跡的に蘇り、ようやく東北にも秋が訪れた頃、「来週には退院してもいい」と言われたと弟の携帯電話から、嬉しそうな声を聞いた矢先に、突然脳出血を起こし、長い眠りのまま、二度と意識は戻りませんでした。
私も後悔だけはしないように、精一杯出来ることはしたという自負もあったし、岩手と京都と離れていた為に、親の死に目には会えないかもしれぬと思ってもいたし、何よりも電話の向こうで「私は幸せな人間やねえ」といった最後の言葉に満足して、通夜、葬儀を滞りなく済ませて帰ってきたのでした。
岩手にも初雪の便りを聞いた十一月の末日、母の四十九日の法要のため帰りました。
お寺の庭には雪が残っていたものの、その日は見事なほどの晴天に恵まれ、参列の方々と無事骨納めも済ませたとき、お寺に戻る一行は、「クワッ、クワッ」と聞きなれない鳥の鳴き声に空を仰ぐと、、四羽の白鳥が飛んで行くのを見ました。そして、その中の一羽が戻ってきて私たちの上を何度か舞って、そしてまた飛んで行きました。この感動的な光景は、 後の法事の席でもみんなの話題をさらいました。
花が好きだった、器用な人だった、面倒見のいい人だった、と母の思い出話は尽きず、
皆は時間が経つのも忘れ、大いに盛り上がり、楽しく賑やかなひと時でした。
弟は、「小さいときから、一度も怒られた記憶がない」と言うのです。そういえば私も心配をかけたが、怒られたことはありません。
優しいと言うべきか、人の心配ばかりして、それが時にはうっとうしくて、よく口喧嘩をしたことなどを思い出していました。
東京から来た叔母は「姉さんは、私の最大の失敗は、娘を遠くに手放したことだと言っていた」と語ったのです。
誰も気にも留めない、何気なく言った一言に、私は胸がつまり料理が喉を通らなくなってしまい、その場を離れ、始めて思い切り泣いてしまいました。
十分親孝行もしたし、それに答えてくれていつも感謝していたからと、悲しみにくれることをしなかった強いはずの私は、今までの自己満足が、一瞬に崩れ去った思いでした。
やはりあの時、あの一羽だけ私たちの上を舞っていた白鳥は、母ではなかったか。
名残惜しそうに、何か言い残したことがあったのか、もしそうであれば、
もう一度、私の傍に戻ってきて欲しい。
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私にも言わせて
http://taizann.exblog.jp/7914006/
2008-01-05T23:59:00+09:00
2008-04-24T22:52:36+09:00
2008-01-05T23:59:02+09:00
taizann
エッセー
昨年の十月から小泉元総理の宿願だった郵政民営化がスタートした。
民営化のメリットが強調されたのは記憶に新しい。
○ 国民に大きな利益をもたらす
○ 窓口サービスが良質で、安い料金で可能になり、国民の利便性が最大限に向上する
○ 郵政公社に対する見えない国民負担が最小化され・・・などなど
昨年、身内に不幸があり実家の岩手に帰っていた時のこと
どうしても京都に急ぎの封書を送る必要があり、住宅地の中の郵便局の前の赤いポストに投函し、ふとポストの横の収集時間を見て驚いた。午後三時の一回しか収集に来ないのである。三時を過ぎていたので翌日の収集になり、明後日にはなんとか間にあうかと思いきや、京都に届いたのは投函して四日後のことだった。東北と言っても、新幹線も止まる、市になっている街である。どこでも収集回数が減ったみたいだ
今どきの宅急便より質が悪い。
もう一つ。
今年は喪中はがきで我が家は家族の分を合わせると、数百枚と数が多いので、料金別納にしてもらおうと、京都の中央郵便局へ持って行った。「何枚ですか?枚数をここに書いて、向こうの机でこのスタンプを押してから、この用紙で申請してください」「エッ!自分で一枚ずつ押すのですか」「ハイ、お願いします」。
私は、局の機械に入れれば、自動的に枚数を数え、スタンプが押されて出てくるシステムがあるものと勝手に思っていた。
何でも機械化のこのご時世に人間の手で一枚ずつ・・
なんとも時代遅れの作業に嫌気がさす。窓口を見ると、中央と言うだけに窓口が多い。しかし待っているお客の数も多い。
その割にはどうも窓口の流れがスムーズではない。手際よく、きびきびとした態度が感じられない。どの窓口もサービス精神が感じられない。極めて事務的だ。
アルバイトが多いとは聞いてはいたが・・
待っている人も気が長い。私は仕方がないと片付けるほどお人好しではない。
また、先日知り合いの方に、五千円のお供えを現金封筒に入れ、お悔やみの言葉を一筆添えて送った。送料五百十円也。へえ中身の一割以上?確か、ちょっと前には二、三百円だったのに、値上げしている・
これだけのことからも、民営化のメリットはどこに行った?と言いたくなる
そして、とっぷりと日も暮れた夕食時間帯に、
「郵便局です、小包を持ってきました」と配達の方の声がした、「ご苦労さまです」と言いながら、こんな時間まで?
これは我々国民だけが不便になった話ではないのではないかと感じたのである。
ひょっとして、この民営化は職員にも、メリットはあったのか?と素朴な疑問が・・
少なくてもここ、二、三ヶ月で頻繁に郵便局に足を運んだ、決してあら捜しをしたわけでもない。
私には、簡易保険百二十兆億円の行方がどうの、郵政米営化とか、郵政公社は社保庁の二の舞か、などと騒ぎ立てている話には興味もない。
難しい話はわかりません。ただ単純に便利で、安全で、安く、今までの様に気楽に利用できる郵便局であって欲しいだけのことなのです。
なんだか、民営化、民営化と熱狂的に進められ、また、これからもどんどん、官から民へ移行するこの政策は果たして国民にとって喜ばしいことだろうか?
安易に賛美してしまっていいのだろうか。]]>
夫の趣味
http://taizann.exblog.jp/7667658/
2007-12-08T19:32:00+09:00
2008-04-24T22:28:43+09:00
2007-12-08T19:32:19+09:00
taizann
雑記
夫はよく釣りに行く
目的は鯛かイカが多いのだが今日の収穫は多種多様で大賑わい!
中でも今まで見たことのない珍しい鯛が混じっていた
「まとう鯛」と言うらしい
体の中央に弓の的のようなものが付いているので「的鯛(まとうたい)」と呼ばれているらしい
別名 頭の部分が馬の頭に似ているので「馬頭(まとうたい)」とも言われるとのこと
産卵前の冬が旬で白身で味がよく、高級魚だそうだ
加熱すると身が崩れやすいのでフランス料理に珍重されているとか
我が家はこれを刺身にした
なるほど、真っ白で美しい
この日はアジ、カワハギ、タイ、サワラと種類が多いけど
アジを除いては鯛3匹、あとは一匹づつだったので刺身にしました
やはり、まとう鯛が一番人気でした
←(皿の上にアジ、下がまとう鯛)
知り合いにもおすそ分けしても
アジがたくさんあり、どうして食べようかと困り果て、一部を塩水につけ、天日干しの干物に
一部をイワシで昔よく作った
つみれ汁にしたら、これも好評でした↓
翌日はアジフライにも・・
とにかく、釣りから帰ってくると我が家は2.3日魚三昧です
まあ、猫が揃っている家族ですけどね
家中魚臭ーい www
贅沢言ってはバチが当たります
新鮮な魚をいつもありがとう でした
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韓国歴史にふれる旅ー3
http://taizann.exblog.jp/7485940/
2007-11-20T15:43:00+09:00
2007-11-20T15:53:51+09:00
2007-11-20T15:38:57+09:00
taizann
旅行記
公山城の夕暮れ
百済文化の粋を物語る国立扶余博物館
百済時代の遺物を15、000点を所蔵、そのうち1,000点を展示している
百済金剛大香炉→
蓋にある12個の穴から
香の煙が出るように
なっている
台は龍を形象化し、
蓋の上部には
鳳凰を装飾してある
百済の古都 公州の公山城
美しい錦江に囲まれ、、全長2、660mに及ぶ城郭は万里の長城を思い浮かべます
475年に都をここに移し538年扶余に遷都するまで
1、500年前の公州を守る代表的な城だったのです
夜はライトアップされ一段と美しいそうです
3日目の夜は韓国の代表的な家庭料理でに舌つつみ
30種類の小皿に並んだ料理に圧倒されました(洗うだけでも大変だろうに・・)
さてさて最終日は出発まで自由行動、我々一行はソウルの街へ
勇気を振り絞って韓国語を試すが・・・
習った単語が上手く出てこず、通りの真ん中で辞書を広げ片言語を連発し、尋ねると
相手は日本語で答えてくれたり、本当に珍道中でした。
それでもようやく、みんなで韓国の小学校の国語の教科書(一年生~三年生程度、)
流行しているCD、韓流スターのカレンダーや人気のコラーゲン入りのパック等などをゲット。
私は一人で南大門市場へ行って、海苔や豚足を土産にしようとグルグルまわり
帰り道がわからなくなり、若い人をつかまえ、とうとう
「韓国語がわかりません、ヒルトンホテルまで案内してください」となんとか韓国語で・・
恥ずかしい!(先生が聞いたら嘆くでしょうね)
それにしても、韓国の発展ぶりには目を見張るものがあります。街に勢いがあります。
数年前は走っている車は軽自動車が多かったのですが今は高級車ばかりでした。
ソウル・インターを見てもこのとうり、凄い!まさしく車社会です。
韓国の人はみんな、みんな親切でした、それに若者も日本語を話す人が多い。
さてさて、我々の韓国旅行は、(もっと勉強しなくちゃあね)
今度行くときはもう少し相手の言うことがわかるようになっていたい。
そんなことを思いながら無事帰って来たのでした。 おしまい。
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韓国歴史にふれる旅ー2
http://taizann.exblog.jp/7420039/
2007-11-13T11:55:00+09:00
2007-11-15T11:51:15+09:00
2007-11-13T11:55:35+09:00
taizann
旅行記
( ソウルヒルトンもすっかり秋の装いでした)
東大邸から新幹線(KTX)に乗ってソウルへ、
グリーン車なのでゆったりと揺れも少なく快適でした
翌朝のあわびのお粥は最高!
3日目 車で3時間また北に戻る小旅行
白馬江遊覧
その昔、女好きの王が敵に攻められたとき、宮廷に囲っていた女官3000人がこの崖から身を投げたという(落花岩)
船頭さんの歌のおまけもありました
百済中興の歴史が息づく宋里古墳群へ
武寧王陵 1971年排水工事中に偶然発見された。501年40歳で即位し523年の62歳まで
23年間の在位期間中、民政の安定や百済の国力強化を図り百済の国際的地位を高めるなど
対内外的に大きな業績を成し遂げた王である。
武寧王の墓の復元や副葬品のうち
12種17点が国宝という
貴重な博物館だと思うのですが
修学旅行生(?)たくさん入ってきて
折角の説明も聞き取れませんでした
宋里古墳群には王と王族の墓が群集している。武寧王陵の墓を含め7基の古墳がある。
古代歴史の旅は盛りたくさんです
長くなるので扶余国立博物館、公山城は
次回にします。次もまた素晴らしいですよ]]>
韓国歴史にふれる旅ーⅠ
http://taizann.exblog.jp/7326730/
2007-11-03T13:01:00+09:00
2007-11-03T12:58:47+09:00
2007-11-03T12:57:42+09:00
taizann
旅行記
韓国は今年は600年に一度まわってくるめでたい年だそうです。
この黄金の豚(実際はいのしし)に触るとお金持ちになれるそうです。’勿論私はベタベタに)
我々韓国語教室2年生の一行は、この間の勉強の成果がどれだけのものか試すべく(??)、
韓国旅行に出かけたのです。折角だから、先日来韓国の歴史に興味があった6人でしたが。
まず、釜山から慶州へ
釜山ではどこにも寄らず、眼鏡屋さんへ直行です。なかなかセンスも良いし、
種類も豊富で安いので私は3つも買ってしまいました。www
そして、l紅葉のシーズンでもあり日曜日とあってとんでもない交通渋滞に巻き込まれながらも
慶州へ・・・夕食は韓国舞踊を見ながら海の幸の具たくさんの海鮮鍋を。
翌日 紀元前57年から935年まで新羅王朝の都として栄えた古都へ。
新羅仏教の隆盛を偲ばせる
「石屈庵」
そして、韓国が世界に誇る文化遺産
「仏国寺」
→ 国宝多宝塔
6つの国宝を始め統一新羅時代の貴重な文化財
極楽浄土に導かれると言う。
次回は新幹線KTXでソウルへ向かい、また扶余の古代百済王朝の跡を訪ねます。
韓国語はどうだったって?
「それはそれは、流暢に話せましたよ」と言いたいところですが???
4日目の自由時間で実力を知ることになるでしょう。www
現地ガイドさんにバスの中で親切に教えていただきました。
我々の旅は続きます。
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芸術の秋
http://taizann.exblog.jp/7246246/
2007-10-24T15:55:00+09:00
2007-10-24T18:44:33+09:00
2007-10-24T15:55:41+09:00
taizann
映画評
私の大好きなシャンソン歌手と言うより彼女の歌う歌は心に沁みる歌が多い。
この映画は、ピアフの過去を時間軸で追わず、彼女の生きた時代を交錯させて描いている。
そのため集中してみていないと、波乱万丈の彼女の生き様に私は度々翻弄されてしまった。
彼女の生い立ちは数々の伝説があるそうだが、貧民街でカフェのシンガーとして働いていた
母親は17歳でピアフを生んでいる。
父は大道芸人であり、ピアフをノルマンディーで 売春宿を営む彼の母親に預け入隊する。こうしたピアフの幼い時の環境が、その後のピアフの人生に強いインパクトを与えたことは間違いないようだ。
母親と同様に街頭で歌うピアフに目をつけたのは名門クラブの経営者ルイであり、ピアフ(雀)
の名付け親でもある。
レコードを出し歌手として成功を納め大女優のマレーネ・デートリッヒにも賛美される。
ジルベール・ベコー、イブ・モンタンをもスターに導く。
ピアフは数々の恋愛の末、不倫ではあるがボクシングの世界チャンピオンのマルセル・セダンとの至福の時間を過ごすが、セダンの飛行機事故の訃報、名曲「愛の讃歌」の誕生秘話で映画はクライマックスとなる。
晩年は度重なる交通事故、モルヒネ中毒に体は蝕まれ僅か47歳で没する。
この映画で特筆すべきは、ピアフの20代から47歳で死ぬまでを演じたマリオン・コティヤールという女優の演技である。マリオンという人は、ピアフの人生を知らなかったらいが、ピアフの体の動き、息遣い、歌い方、普段の癖などを史料から、深く研究したらしい。
もちろん、私もピアフを知っているわけではないが、過去の映像などから知るピアフに瓜二つ
まるで本物のピアフが映画に出ているような錯覚を起こした。見事でした。
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旬の香り
http://taizann.exblog.jp/7089282/
2007-10-01T10:28:00+09:00
2007-10-01T10:29:10+09:00
2007-10-01T10:28:08+09:00
taizann
エッセー
ふと、何かしら吹く風に秋の気配を感じる頃、「クール宅急便でーす」元気の良い配達のお兄さんの声と共に、我が家にはいっぺんに秋が来る。
いくら流通機構が発達したと言っても、私は秋刀魚は三陸の秋刀魚と決めている。手がちぎれんばかりの凍り詰めの箱に入った秋刀魚を見て「今年の秋刀魚は大きい、うーん脂が乗っていそう、さあ、今日は秋刀魚づくしにしよう」。
まず、何匹かを刺身用ににとりかかる。
新鮮なものは、三枚におろすのも、いと簡単である。包丁など使わずとも、手で骨がすうっと、はずすことができる。
ここで忘れてはいけない。小骨の多い腹の部分を腹わたも一緒に 切り取り、軽く塩を振り、食べる前にさっと焼いて、すだちでも絞って食べれば、これもまさに通の一品になる。
幼いときには、母に「カルシユウムだよ」と言って残りの骨を火鉢で焼いて食べさせられたものだ。我が家の秋刀魚は、捨てるのは、頭としっぽだけになってしまう。
三枚におろしたものの半量を尻尾から、皮をむいて刺身用に切り、盛り付ける。
残りを秋刀魚の寿司にしよう。
]軽く塩を振り酢につける。秋刀魚は鯖などと違い、身が細く、薄いのであまり酢に漬け過ぎるとカスカスになってしまう、酢飯なので酢に漬けなくても良いくらいだ。酢につけてから、皮をむくのであるが、新しいと皮はむけないことが多い、と言うより皮が溶けてしまうようだ。それに無理しなくても、皮の存在など気にならない。にぎりにしてもよし、棒寿司にしてもよし。
残りは、明日用に塩をしておいて、焼くのもよし、醤油に漬けておいて、かば焼きにしてもよいだろう、土生姜と煮つけてもよい。
生の新しいものは何にしても美味しい。
昔はおそらく安い魚の代表だった筈で、箱で買ってぬか漬けにして、温かい白飯で食べた〔へしこ〕の、あの美味しかったこと。
さあ、これでできた。
↓(ここがまた、美味しい腹の部分)
岩手の弟に「秋刀魚届いたよ、ありがとう、また、送って!」とメールする。
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韓国ドラマ「朱蒙(チュモン)」
http://taizann.exblog.jp/7024451/
2007-09-22T14:55:00+09:00
2007-09-22T21:28:32+09:00
2007-09-22T14:55:47+09:00
taizann
ドラマ
これも全81話と超、長編ドラマですが次がどうなるのかと気になり
毎日夜更かしをして見終えました。
今でも朝鮮の人の憧憬の国”高句麗”を建国したという英雄「朱蒙」の一代記です。
見応えがあり、面白く聴衆は、,日本人の私でさえ釘付けにされました。
物語は、BC 108年に古朝鮮が漢の鉄器により崩壊し、BC 37年に初の民族国家-高句麗が誕生するまで 描いている。
国を失った流浪民は漢の支配体制下で屈辱的な奴隷生活の民であった。古朝鮮の流浪民である若い将師、解慕漱 (ヘモス)は軍を率いて漢と戦うが、鉄器騎馬軍にまたも敗れてしまう。 そして解慕漱(ヘモス)と柳花(ユファ)の息子として生まれた朱蒙(チュモン)は、扶余国の蛙王(クムワァワン)の息子として育つ。王は実の息子2人よりも愛情を注ぐが、母から朱蒙に課せられた大業を知り宮を離れる。父との出会いを切望していたが、師匠が父だとも知らぬまま死別。一生涯で1人の女を愛したが彼女ではない他の女性と結婚し、そして別れる……。
そんな経験を背負った男だったが、奪われた古朝鮮の大地を取り戻し、高句麗を建国する。
俳優陣、、ロケ地の壮大さ、戦闘シーンの迫力、男女の情愛、衣装の見事なこと、すべてが素晴らしいの一語です。ちょっとみんな格好よすぎるけど。
是非、お勧めです。
韓国の人の力が入ったドラマだと思いました。
神話に基づく朝鮮の人々のルーツが現代に蘇った話ですから、
どんな教科書よりも、世代を超えて韓国の人の胸に迫ったのではないかと思います。
どこまでが事実か、私などの薄い知識では図りようがありませんが。
ドラマとしては最高に面白かったです。
蛇足ですが、中国の人が怒りはしないかと思うほど、漢の国が極悪非道に描かれていましたね。最近、中国では高句麗は中国辺境の少数民族が建国したと言って、その立証のため一大プロジェクトを組んでいるとか。面白いですね、
史料が乏しいだけに、物議を呼びそうですね。
興覚めたことを言いましたが、いえいえ、まだまだこれから「朱蒙」の余韻と話題は
尽きないと思います。
(写真;公式サイトより転載)
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韓国ドラマ「海神(チャン・ボゴ)」
http://taizann.exblog.jp/6861311/
2007-09-02T17:29:00+09:00
2007-09-22T16:30:17+09:00
2007-09-02T17:29:54+09:00
taizann
ドラマ
韓流フアンの友人からお勧めのDVDが回って来ます。
今回は韓国で2005年に半年間放映され、平均視聴率30%を超えていたという”海神(チャン・ボゴ)”です。
統一新羅時代(676-935年)に実在し、「三国史記」などにも登場する海神(チャン・ボコ)を
描いた韓国の超大作時代劇である。
壮大な歴史を描いたストーリーを私が解説するのは能力不足ですが・・・
身分の低い船倉で働いていたチャンボゴは海賊と内通したとの罪で奴隷として送られる。
過酷な運命をおくり、生と死の境を幾度となく繰り返しながら、ついには持ち前の商才を発揮し、東アジアの海上を制圧し、国際貿易を主導する。
1000年も前に韓国史上唯一海上を支配し偉大な海上帝国を夢みて東北アジア交易の中心地として清海鎮を作るが、最後には皇室抗争に巻き込まれていくのであった。
実在の人物の生涯を、ライバルともいえる敵との葛藤を男女の情愛を交え、当時の階級社会の人間関係と権力闘争も含めた一代記となっている。
久しぶりに引き込まれ、夢中で見たドラマでした。
壮大なスケールで、少々中だるみというか、間延びした感もありますが面白かったです。
なにしろ51話まであり、1話が60分以上CMなしですから。
戦闘シーンや砂漠のロケなど大がかりでもあり、衣装もなかなかで
お金がかかっているなあと思いました。
せつない場面に流れる音楽もいまだに耳についています。
何より私には発音のはっきりした、わかりやすい韓国語が有難かったです。
唐、日本を含む当時の新羅の政治的、経済的状況も勉強になりました。
個人的には、後半、朝廷に認められ、そのための争いから清海も絶滅してしまうというのは
悲しすぎます (感情移入しやすい人間ですので・・)
一部倭人の表現には、ちょっと抵抗を感じましたよ。
それと主人公はいったい誰だろうと思いました。
次は視聴率50%を続けていたという同じようなドラマ{朱蒙」のDVDが待っています。
(写真;公式サイトより転載)
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劇団四季のミユージカル
http://taizann.exblog.jp/6751368/
2007-08-19T00:59:00+09:00
2007-08-26T09:20:08+09:00
2007-08-19T00:57:00+09:00
taizann
読後感
京都駅を通ると「劇団四季」の京都劇場の催し案内の映像と音楽が流れています。
これは是非観たいと思い先日行ってきました。
実在の女性であり、その生涯はドラマチックでもあり今なおアルゼンチンの国民に愛され
聖母と慕われる伝説の女性の物語です。
ストーリー
マリア・エバ・ドウアルテは、アルゼンチンの貧しい村に私生児として生まれ、15歳で家出をし
ブエノスアイレスに上京する。
自らの美貌と性を売り物にし、さまざまな職業遍歴と男性遍歴を重ね、出会った男たちを踏み台にし、出世をしていく。ラジオドラマの声優や映画俳優として活躍する。その頃に軍事政権副大統領の肩書きを持つフアン・ドミンゴ・ペロン大佐に出会い、ペロンの愛人として過ごす。
その頃から「エビータ」と呼ばれる。自身のラジオ放送をペロンの政治宣伝に利用し、
貧しい労働者階級の支持を受け、ついにはペロンを大統領にまでのしあげるのである。
(1946年)
ペロンと結婚し、ファーストレディーとして国政に参加し、貧困層の優遇政策に努め
女性参政権も実現する。しかし一方では、その公私混同ともいえる無軌道な政策に
非難も集まり、汚職の疑いもかけられる。
その後副大統領への声も上がるが、その直後子宮癌のため33歳で死去する。
エビータの生涯は、今までに世界中でミユージカル、映画、テレビドラマなどに取り上げられ、いずれも人気を得ているようです。
いろいろ、意見、考え方はあるでしょうが私はあっぱれな女性だと思います。
わずか33年の一生を、思い切り自らの野望を実現し、駆け抜けるように
精一杯生きたのですから。
実物は本当に美人だったようです。
劇団四季の「エビータ」は、さすが迫力もあり、キャストもなかなか良く、舞台装置もしっかりしていて、見ごたえがありました。音楽にも哀愁があり好感が持てました。
特に私はチェ役の芝清道氏の声量に拍手を送りたいと思いました。
もう一度観てみたい感想です。
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詩人"名古きよえ”
http://taizann.exblog.jp/6540760/
2007-07-22T15:06:00+09:00
2007-07-22T15:14:03+09:00
2007-07-22T15:06:35+09:00
taizann
友だち
ー故郷の自然と都市建築に魅せられてー
私が通うエッセー教室の中の先輩に一人の詩人がおられる。
いつも楚々と座って、
とてももの静かな方で、口を開いても、優しさが滲み出てくる、そんな人である。
しかも、彼女の書くエッセーは、情感がこもり叙情的で私は惹かれることが多い。
過日、詩画展の招待状を頂き訪れてみた。
河原町五条のギャラリーは、数々の傑作が展示され
その絵には詩が自筆で添えられていた。
時世を表現したり、武器を戒めると思える言葉が
彼女らしく静かに、絵が訴えているように思えた。
何か宗教的なものを感じたので、お茶をいただきながら尋ねてみると学生時代に教えられた「本願」を信条としていると話された。
この言葉が、妙に私には印象に残り、
そうだ、名古さんから滲み出るものはきっとコレなんだ。
ギャラリーを後にしながら、「絵も描けて、詩が作れて、その絵に思っていることまで添えられ・・、
いいなあ・・・」なんて思いながら、鴨川のほとりを歩いたのだった。
その後、名古さんから「本願」について詳しく説明されたお手紙をいただいたのである。
《この世で幸せや感謝を感じて、生きること、それが他人に伝わる》と・・
宗教に拘わらず「本願」の心は、先祖からの教訓でもあり、日本人が持っていたい
仏教の心ではないかと私なりに解釈したのだが。
名古きよえさんのプロフィール
南丹市美山町生まれ 関西詩人協会 近江詩人会会員
京都女子大学文学部卒業 日本ペンクラブ、ラビーン会員
詩集「目的地」他5冊 日本詩人クラブ、地球、棚会員
1992年日本画を始める 彩画会 桜会会員
2004年「思い出」コートダジュール国際芸術賞
2006年「大地」日蘭交流栄光賞受賞、「名古きよえ詩画集」出版
(このブログは名古きよえさんの了解をいただいています)]]>
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